三浦のぶひろは、セーリング競技の日本の第一人者である関一人氏と公明党神奈川県本部で対談しました。三浦が「私は防衛大学校でカッター(端艇)部の顧問をしていたこともあり、マリンスポーツには大変に興味があります。今回の出会いを楽しみにしていました」と語ると、関氏は「実は、私も以前、防衛大学校で、ヨット部のコーチをしたことがあって、三浦さんには、親近感を覚えていました」と。和やかな雰囲気の中で始まった語らいは、セーリングの魅力やオリンピックでの思い出などに及びました。今後、東京オリンピックを控え、ますます注目されるセーリング競技の魅力に迫ります。
関 一人(せき かずと)
セーリング競技 銅メダリスト
1975年9月生まれ。2004年に行われたアテネ五輪のセーリング男子470級(ヨットの全長が470センチで、2人で乗る競技)で、アジア人男子初の銅メダルに輝く。現在は、監督の立場で次のメダリストの輩出を目指す。
三浦 青い海、すみわたる空。セーリングは、さわやかなイメージがありますが、一番の魅力は何でしょうか。
関 やはり、大自然の中で行うことでしょうか。加えて、風を使う競技であることも魅力の一つだと思います。風は他の競技だと障害になりますが、セーリングは風を味方にしないと前に進みません。次にどんな風が吹くのかを予測して帆を操る。やればやるほど、その奥深さに魅せられました。
三浦 同じ風を受けていても、帆の角度によって、速度が変わる。それは選手たちの技術力であり、先を予測する力なんですね。そういう点に注目して見てみたいと思います。そもそも、関さんがセーリングに興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか。
関 中学生までは千葉市に住んでいたのですが、近くにヨットハーバーがあり、父が「千葉ヨットビルダーズクラブ」というクラブに入れてくれたことがきっかけです。そのクラブでは、親子でヨットを作り、親子で整備し、親子で乗るという取り組みを行っていました。
三浦 興味深い取り組みです。自分でつくると、ヨットの仕組みが学べますし、それに自分が乗れるということも最高の思い出になりますね。
関 本当にそう思います。ヨットに乗ることが楽しくなりましたし、何より、親子の絆が深まりました。
三浦 初めて試合に出たのはいつでしょうか。
関 小学校3学年の時、OP(オプティミスト)級という部門に出場しました。会場までヨットで向かったのですが、行くまでに船酔いしてしまい、結局、大会に出られずに引き返した記憶があります。
三浦 日本のセーリング界を代表する関さんが、船酔いとは、意外な一面です。
関 実は、私は船酔いには弱い方なんです。20年以上セーリングに携わっていますが、今でも弱い方です。でも、船に酔う事よりもセーリングを楽しむほうが優っています。何より海が大好きだったので、苦に感じませんでした。
三浦 海が大好き。私も同じです。海は雄大な気持ちになれますし、自然の中で汗をかくと、心も体も清々しいと思います。
関 その清々しさ、爽快感は何にも代えられないものですよね。でも、海に行くとベトベトするので、最近は、「海よりもプール」という人が多くなっているという話も聞きます。
三浦 日本は海に囲まれた国なのに、海に行かないのは、寂しいことですね。私は、海と触れ合い、海の魅力を感じることで、自然を大切にする心を育むことができると思います。もっと海に行っていただけるような取り組みが必要ですね。
関 私もそう思います。まずは海に足を運んでいただく。それが、ひいてはセーリング競技の発展にもつながっていくと思います。