対談 日本の進むべき未来②

〜平和と教育と科学技術を語る〜

三浦が奉職していた防衛大学校で、2006年から5年8カ月にわたり、学校長を務めた五百旗頭眞氏。

久しぶりの再会を果たしたこの日、教育・人材育成の要(よう)諦(てい)から、生命と平和を守り抜く使命、さらに科学技術の重要性について、熱のこもる議論が展開された。

五百旗頭眞(いおきべまこと)

1943年兵庫県生まれ。京都大学法学部卒業、同大学院法学研究科修士課程修了。広島大学政経学部助手、助教授をへて、神戸大学法学部教授。小泉純一郎首相の働きかけで2006年から防衛大学校長に就任、2012年まで務める。現在、熊本県立大学理事長。

“生命を守る”教育を時代精神に

三浦 先ほどお話にあった先生の改革案のなかには、大地震のときにどう対処するかという項目も含まれていましたね。

五百旗頭 私は神戸大学にいた一九九五(平成七)年に阪神・淡路大震災を経験しました。わが家も全壊し、幸い家族はみな無事だったのですが、私のゼミ生が一人、犠牲になりました。
震災では三九人の神戸大生が亡くなりました。あのとき、神戸商船大学の学生寮は被災地の真ん中にありましたが、鉄筋だったために無事でした。彼らは、日ごろから遠洋航海などの訓練をしているものですから、上級生の寮長の指揮の下、多くの寮生が周辺で生き埋めになっている人々の救助をするために三〜五名ずつのグループで飛び出していき、一日で一〇〇人の生存救出に成功したのです。そのような話を直接、見聞きしていたものですから、防大に着任したとき、「地震が起こったら、この三浦半島は大丈夫なのか?」と尋ねてみたら、「半島の下には活断層がたくさん走っているため、大地震がきたら大変な事態になる」ということでした。大学内の建物は鉄筋コンクリートが多いので大丈夫だと思いますが、周辺の家屋などには倒壊したり、生き埋めになることもあるでしょう。生存救出は最初の一日が勝負というときに、近くに住んで、日ごろお世話になっている防大生こそ、積極的に周辺地域に出動し、救出活動にかかわるべきだと、私は考えていたのです。ところが、この話を持ち出したとき、「防大の任務は『教育、訓練』であって、災害・救援ではない」と、事務官に言われました。もし、学校長が学生に救出活動を命じたら、違法行為になるというのですね。言うまでもなく、災害救援は自衛隊の任務の一つです。将来、防大生は幹部自衛官としてその任に当たることになる。たまたま災害の現場にいた防大生が将来の準備として、つまり教育訓練の一環として救出行動を行うということにすれば、少なくとも違法行為は免れるということでした。ただ、救出行動(訓練)の際に、防大生の身に何かが起きたとしても、公務災害の認定が下りないというのです。
その後、地元・横須賀市長との間で災害時の支援協力協定を結び、その際、防大生は、万が一のことが起きたら、市のほうで公務災害として措置してもらえることになりました。

三浦 先生ご自身が、実際に阪神・淡路大震災を経験されていたからこそ、そのような結果を導くことができたのですね。また、東日本大震災の後には、先生は復興構想会議の議長という重責を担われ、尽力されました。

五百旗頭 二〇一一(平成二十三)年からの一年間は、退任前の一年間に重なっていましたので、ただでさえ忙しい時期だったのですが、当時の首相から直接、電話で就任の依頼がありました。当初、「六月末に第一次提言を答申し、最終報告書はその年の十二月までにまとめてくれればいい」とのことだったのですが、被災者にとって希望となる復興構想を早く提示し、その内容を国の予算に反映できるよう、最終報告書の完成をわれわれのほうで六月末に前倒しました。お陰で忙しくなりました。
あのときは、私も週に三〜四回は東京に出てきて、長時間の会議をしました。無理を重ねたせいか、翌年三月に退任してまもなく、体が悲鳴を上げてしまいました。

三浦 震災復興のためにご尽力いただいたことに、仙台生まれ・福島育ちの私としては感謝に堪えません。
今回、私が防大の教官から政治の世界をめざそうと思ったきっかけの一つに、原発の廃炉問題がありました。日本には優秀な科学技術力を持っている人たちがたくさんいるにもかかわらず、それをうまく活用できていない現実があるように思えたからです。福島第一原発の事故をとおして、日本がいろいろな技術を得て、そこからきちんとした廃炉技術を生み出し、その技術を海外に伝えていくことによって、原発そのものの安全運用に貢献できるのではないかと考えました。

五百旗頭 そうですか。それは心強いことです。東日本大震災では、阪神・淡路大震災の経験が生かされまして、地震が起こってわずか一五分後には、官邸地下の危機管理室に政府首脳が集まり、内閣府防災担当や危機管理監の下であらかじめ用意されていた手順に従って、全国の警察、消防、自衛隊、海上保安庁、JMAT(日本医師会災害医療チーム)などによる支援が迅速に指示されました。ところが、原発事故だけは想定外の出来事で、どうしたらいいかまったくわからなかった。政治家のなかに原発に精通した専門家がいなかったためです。そういう知識を持った人がトップを補佐することができないとダメだということは、重要な教訓だったと思います。ですから、いまの三浦さんのお話は、本当に希望が持てますね。ぜひ、頑張っていただきたいと思います。

三浦 先生にそのように言っていただけると勇気が湧きます。

五百旗頭 私は先日、福島第一原発へ行って、驚いたことがたくさんありました。事故前の原発稼動中には五〇〇〇人ほどが働いていた場所です。現在は廃炉プロセスに入っているということでしたので、なんとなく寂しいイメージを抱いて行きましたら、なんと七〇〇〇人もの人たちが働いているんです。廃炉のための仕事のほうが多くの人を雇用しているんですね。これは科学的知見に基づいて間違わないように進めていかなければならないと思いました。

三浦 本当にそうですね。最近、人気が減少し、定数削減の傾向にある(大学の)原子力系の学科などでも、教育的視点で、きちんと新しい人材育成をしていくことが、とくに大事になると思います。

五百旗頭 そこがしっかりしてないと廃炉プロセスも支えきれないですね。

三浦 はい。おっしゃるとおりです。

五百旗頭 これから新しい原発をつくるということはあり得ないと思いますが、ただちに再生可能エネルギーで必要な電力を生み出すのは難しいようです。その努力を続けながらも、たしかに安全性の高い原発については、一定期間はそれを使って第一原発だけでも七〇〇〇人必要な雇用を支え、ある意味、時間を稼ぎながら技術対応力を高め、四〇年経ったものは廃炉プロセスを確実に進めていく必要があると思います。それまでにいろいろな研究を重ね、最もいい形の廃炉プロセスを見出していくことが非常に重要な時期だと思います。

三浦 やはり、日本は将来も科学技術立国として進んでいく以外に道がないと感じています。そうでなければ、世界と勝負することができません。その過程で新しい産業を生み出しながら、関連する中小企業の力を引き出していくことが必要だと思っています。

五百旗頭 マニラのアジア開発銀行で「東日本大震災の教訓」と題して講演する機会がありました。そのとき、外国の方から、「M9の大地震津波で日本はなぜ二万人の犠牲者で済んだのか」という質問を受けました。私は、「日本ともあろうものがなぜ二万人も亡くなったのか」との質問がくることを想定していましたので一瞬、虚を突かれる思いがしました。インドネシアのスマトラを襲った巨大地震では、二十数万人もの犠牲者が出たことを踏まえての質問だったわけですね。

三浦 命を単純に数で比較はできませんが、桁違いですね。

五百旗頭 あの大地震によって家屋が倒壊し、圧死するケースが極めて少なかったのは驚嘆に値します。上下十本の新幹線がすべて安全に停止したことは、国際的な驚きのニュースでした。日本社会の耐震基準は一九八一(昭和五十六)年の建築基準法で変わりまして、それをクリアした建物は阪神・淡路大震災でもほとんど壊れていません。ただ、津波に対して鉄筋コンクリートの高いビルはともかく、普通の住宅は抵抗できません。津波の際は逃げる以外に生きる術はないのです。ですから、逃げることができたのは日ごろの教育や訓練といったソフトの面も大きかったと思います。「釜石の奇跡」に示されたような、小中高の生徒たちが高台に向かって走り続けた学校教育が非常に大きかったのではないでしょうか。

(「未来をつくる、新しい風。」潮出版社 より転載)