第213回国会 参議院 国民生活・経済及び地方に関する調査会 第2号 令和6年2月14日
国民生活・経済及び地方に関する調査会
三浦信祐君
公明党の三浦信祐でございます。
参考人の皆様には、本当に貴重なお話をいただきましたことに心から感謝を申し上げたいと思います。
大変直截的なお話であったので、適切な質問ができるかどうかというのもちょっと考えながらではありますけれども、何点か教えていただきたいと思います。
まず、私自身、障害に特化したこの日本の制度があるというところはもうよく感じるところです。
一方で、インクルーシブ教育というのは何かのきっかけがやっぱり必要だということもあって、私自身も、地元の横浜で、障害があるお子さんが車の中で、学校へ通っている、友達もたくさんできていると。で、フロアが中学校の中なのでバリアフリーじゃなかった。そういうときに、今度その重たい車をみんなで持って、そして授業のインターバルが短いけど、重いのをみんなで手伝って次の階へ行って、一人取り残さないなんというのは、大人がわざわざ言わなくてもそういうもんだという構築ができていた。今度、そこにエレベーターを付けるということに携わらせていただいたら、スピードがもう全然変わる。そうすると、逆にいろんなことをその子から学んだりをする機会が増えるということで、大人が思っている以上にきっかけ、機会をつくるということはとても大事だなということをあらゆるところで今学ばせていただいていると思います。その上で、先ほどの学校の閉塞感という言葉は大変苦しい思いに立つところであります。
そういう中にあって、教育という部分で考えると、先ほど田名部先生もありましたけれども、学びというのは当然いろんな学問的要素、これもやることも大事だと思いますけれども、これ、学ぶということは、生きるために必要な学問、例えば、何かあったときに行政のシステムがありますよ、何かあったときに相談というのができるんですよ、何かあったときに本当にみんなで助け合うということが大事なんですよとか。また、加えて、金融政策、将来の自分の設計という部分もあるんですよと。これ全部学校の先生がやるというのはなかなか大変ではありますけれども、本来、生きていくために、伸び伸びと、どのような状況でも生きていくための社会をつくるというのは、それこそが教育の一端でもあると思います。
そういう問題意識はありながら、一方で学習指導要領というこのがっちりしたシステムがあって、それが日本の経済も支えてきたということもあるんですけれども、この辺を今後どう開いていったらいいか、またそれが将来のお子さんにとっても、また我が国にとってもいいんではないかと私は思うんですけれども、これについて先生のお考え方を伺いたいと思います。
参考人(小国喜弘君)
ありがとうございます。
三浦先生、ありがとうございます。
やっぱり、今先生から御質問いただいた問題が、学校教育の中の一番非常に、何ですか、固い、何とも変わらない部分になっているような気がいたします。
不思議な気がいたしますのは、憲法であるとか教育基本法のレベルであると、必ずしもその学力を付けなさいという話はないんですね。ところが、学校教育法辺りになると、その改正されたところに少し出てきている感じがありまして、それでも、やはり憲法とか教育基本法を引き継ぐ形で、やはり生きる力といいますか、先生がおっしゃってくださったような、そういう友達と協働しながら生きていくような力を付けるということが意義付けられていると思うんですけれども、これが学習指導要領になると、総則のところでは出てくるんですが、細則のところになると、当然教科に分かれていてというところでは全く消えてしまうという。つまり、目的としては、既に日本の社会の法体系の中にもそういう共に生きるみたいな話は位置付けられているにもかかわらず、細則に落ちれば落ちるほど、実はその教科の意識でがんじがらめにされていて、そこからでは全く、うまくそのそういう生きる力みたいなものは育めないと。
もう一方で、実は日本の学校教育は海外と比べて学校行事というのが比較的盛んな国でして、済みません、時間はあれですよね、ごめんなさい。そういう意味で、実はそこの部分が今回、やはり二〇〇七年からの全国学テの中で、やっぱり授業が教育の全てで行事はなるべく短縮してという、この流れに入ってしまいました。それから、休み時間も、本来子供の権利の中には遊ぶ権利とか休息する権利というのがあるはずなのに、もう単なる授業と授業の間の準備時間になってしまいました。
こういう閉塞状況みたいなものを揺り戻すだけでも随分うまくいく部分はあるんじゃないか。だから、今の学校がもう全くうまくいかなくなったとも思わない部分も、何かまだ信じたいところがございまして、それは、本来的な法の趣旨に、それこそ憲法の趣旨ですとか、そういったところに戻していくということだけでも随分やれるところがあるのではないかなという気がしております。
ちょっと答えになったかならないか、済みません、不安なんですが。
三浦信祐君
大変重要な指摘をいただいたというふうに思います。
その上で、三人の参考人の方々に共通していたキーワード、言葉は一致はしていませんけれども、共有していることがあると思います。まず、予防的措置、予防的支援、これとても重要なことだと思います。例えば、学校の現場で学びだけをしてくれる先生になってしまったら、学校での相談の仕方ということができなくなってしまうということもあると思います。
その上で、私も実はメンタルヘルスケアのことのずっと取組をしているものですから、このメンタルヘルス・ファーストエイドという取組をする中で最も重要なのが聞く力、と同時に相談の仕方という、この二つがリンクすることが大事だと。どう相談したらいいかが分からないというのが実は大きな課題になると思います。
なので、学校で本当は、友達がこうなっているけれどもどう相談したらいいかというのも大事ですし、自分のことがどうなっているのかというのを相談するということ、これがとても大事だなというふうに思います。ただ、相談の仕方はなかなか教えてくれないという課題にも直面していると思います。また、相談されたときにどうやって受け止めればいいかというのが分からないというのも、実は我が国の今現状だというふうに思います。
先ほどあった発達障害の方で、子供のうちに気付いた場合にはいろんな相談支援があっても、大人になって、あっ、もしかしたらということの位置付けになったときに、上司がそのことを言われたらどう対応したらいいか分からないと、これが実態でもあり、もしかしたら教育現場でもそうなっているのではないかなというふうに思います。ですので、この予防的措置をいかに我が国の中でより多くの方々が、家庭も親も含め、そして社会も企業も含め広めていくということは私は大事だなと改めて痛感した次第であります。
そういう面では、多くの相談を受けられたところから見たときに、大空参考人そして田中参考人が、この聞く力をどうやって付ければいいか、そういう社会を構築するために改めてどうしたらいいかということについて御知見をお述べいただければというふうに思います。
会長(福山哲郎君)
どちらからにしましょう。
三浦信祐君
大空参考人から。
参考人(大空幸星君)
もう三浦先生おっしゃるとおりだと思いますね。相談をどうしたらいいか分からないと、相談の仕方が分からないということはあるんだろうと思います。ただ、そのもう一つ前の段階があると思うんですね。それは、要は自分が相談していいのかどうか、要は相談する対象なのかどうか、要は自分の問題に御自身すら気付いていないと。
例えば、二十九歳以下の自殺というのは、これ三人に一人、原因が分からないんですね。何で分からないかというと、遺書も残っていないし周りの人も気付かなかったから、後から警察が調べても分からない、学校が調べても分からないと。要は、御自身も、これは相談窓口見ていくと、何に悩んでいるか分からなくて、もうあふれ出てくる感情をどんどんどんどんもう長文で書く方というのが非常に多いです。こういうことで悩んでいますではなくて、こういうことがあってああいうこともあってと、ずらっと長文、これが多くの相談者の書きぶりなんですね。
ということを考えると、幾つもの重層的な悩みがあって、それについて、まずは自分で気付くということも同時に必要だと思います。やっぱり御自身が何に悩んでいるかというのも、基本的にはこれ、悩んでいる段階というのはもう分からないものだというふうな前提の上でどうやるかというと、やっぱりこれはもう調べなきゃいけないですね。
例えば、反復横跳びとか、握力の検査というのは半年に一回学校では義務的にやっているのに、ストレスチェックは子供たちは義務的にはやってこなかったわけですよね。大人はストレスチェックって企業でやっているのに、子供たちの精神状態の健康診断って全員がやっていたわけじゃないわけです。やっぱり、少なくても半年に一回、できれば二か月に一回ぐらいの頻度で、やはりこれは、子供たちがどういった状況なのかというのを意図的に自分で気付く機会をつくる、これがやっぱり大人の役割だろうと思いますから。
今、昨年から政府も検討を進めていただいていると思いますが、GIGAスクールの端末を一人一台配ったわけですから、これを使って、子供たちのメンタルヘルスの状態は、全員の子供が必ず健康診断、身体的な健康診断と同じようにチェックするということをもう早急に体制として構築をしていって、結果がやはりこれは非常に芳しくないという子供たちをこれはもう相談窓口につなげていくんだということを有機的な連携でやらなければいけないと思います。
参考人(田中悠美子君)
ありがとうございます。
聞く力をどう育てていくのかというところで、今、大空委員もおっしゃったんですけれども、私はやっぱり信頼関係というところが大事だなと思っていて、やっぱり話をしてもいいんだと思えたり、聞いてもらえる安心感や絶対的な安全地帯といいますか、そういった環境の中で自由に自分の思いを話せるというふうに展開できるかなと思うので、そういう信頼関係をどういうふうに構築するか。やっぱり大人側も先生側も、家庭の中でも頑張り過ぎている大人が多いなと思うので、大人が面白がって楽しんだりとか、楽しい場の中で自由に発言ができるような機会を大人から見せていくですとか、そういうのも大事だなと日々思っています。
学校の現場の中でも、とある千葉県の校長先生が、子供たちがSOSを出せるような授業を展開していますというのを伺ったことがあります。いろいろなシミュレーション、可視化された情報の中で、こういった場合だとどうするとかというような何かシチュエーションを出しながら、SOSを出す場面とか出していい人を考えるような、そういった時間を持っていらっしゃるようなことを伺いました。
ヤングケアラーのその現場でも、実は小学生の皆さんに伝えるときに、寸劇とかを用いて見える化されたその状況というのを、ケアの状況、なかなか目に見えづらいのもあるので、それを可視化した形で、こういった状況だったらどう思うとか、あなただったらちょっと話してもいいですかと言えますかというのを考えてもらうような、そういった機会をつくることを積み重ねていくことなのかなというふうに思っています。
以上です。
三浦信祐君
今、大変重要なお話をいただいたと思います。
まず、GIGAスクール構想の中で一人一台というところは、学問用にということのアプローチというのは、これは当然だと思います。このデジタル化社会の中ではもうデジタルネーティブになっている世界だと思います。
ですが、私も、実はこのメンタルヘルスの視点から見たときに、今、相談の仕方といっても、なかなか実は教員自体が相談できないのに、なぜ子供に相談だというふうに言えるかという大きな課題も抱えていると思います。
一方で、人に見られたくない、だけど自分の鏡が欲しいといったときに、タブレットでアプリケーションでチェックするということってとてもやりやすいですし、ここにチャットボットがあると、より何となくリアルタイム性があるというのはとても重要なことだということで、KOKOROBOというのも、これ厚労省の皆さんと一緒になってつくってやってみたところ、やはり大きなジャンル分けができて、即応性と、あとはむしろAIの中だけで整理をした方がいいということ、無理してわざわざ医療にかからなくてもいいということが、トリアージが自分でもできるという機会があったと思いますので、これは教育現場においてもそれを推進するという御意見というのは大変重要だと思いますので、今後に生かしていきたいと思います。
最後に、小国参考人に直球の質問をさせていただきたいと思います。
その上で、やはり教員の皆様が、先ほどありましたように、楽しくやっていれば子供も楽しくなるという、人間と人間とのやっぱり磨き合いということでもあると思います。ですので、インクルーシブ教育とか、先ほどからもあるように、スティグマの問題とかいろいろあってギャップもあると思いますけど、それを乗り越えていける本当に存在で、子供が好きでとか、教育をしてこの国をとか、その御家族を、その未来をと思っている先生が伸び伸びと教育現場で活躍ができるような社会をつくるためにやはり必要なことは何かということだけ、是非御意見をいただきたいと思います。(発言する者あり)
参考人(小国喜弘君)
済みません、失礼しました。何かもう先生方から興奮するような質問ばかりいただいて、済みません。
本当に難しいです。本来は、先生方は、教員になる人たちは子供が好きで、子供と一緒に遊びたいと思って教壇に、教師になる。だけど、一旦入ってみたら遊ぶ時間もない。それから、本当に、決まりを押し付けなくてはいけない。自分がやりたいと思っていなくても隣の教室でやっているからやらなければいけない。隣の教室でやっているのに自分がやらなければそのことで批判をされてしまう。で、すぐに、校長から下手すると指導力不足教員みたいなレッテルを貼られて転勤のときに不利な処遇をされるかもしれない。様々な恐怖の中で駆られていると思うんです。
そういう意味では、やっぱり子供が自由に遊べるような環境をまずは保障すると、先生方もそこで一緒に、例えば、休み時間遊ぶなんというのはクラスのそういう心理的安全性をつくるためにも重要ですけど、教師にとっても非常に重要なことだと思います。
その上で、これもお叱り受けるかもしれませんけど、教育基本法の第六条だったかと思うんですが、その改正教育基本法の中では、規律ある態度みたいなものを教室の中に入れなきゃいけないという話が入っているんですね。あの話が、やっぱりあれができて以降、随分、だんだん、徐々になんですけれども、やはりその規律ある、それを一つの口実にしてというんですか根拠にして、つまり、地方のレベルの教育計画であるとか教育目標の中にそういう規律という問題が入っていって、様々なスタンダードと言われるアメリカ由来の様々な拘束まがいのルールが教室に入り、今や、聞き方名人、発言名人、それから、例えば、背はぴん、背中はぴんですね、足は床にぺったんことかですね、変なうたい言葉のようなせりふの中で、教室の中の座っている姿勢まで望ましいものが決められてしまっていて、それが教室に貼られているみたいな光景も普通にあるんですね。
ですから、これなんかもう子どもの権利条約違反なんだと思うんですけれども、だけど、もう一方で、やっぱり教育基本法に規律ある生活か規律ある態度みたいな話が入ってしまっていることによって、学校現場ではそれが正当化されてしまっているという状況がございますので、是非、もし可能なのであれば、その教育基本法のところのその、若しくは、そういう意味ではないんだということなのかもしれないですよね。規律あるの規律というのはもっと高尚な意味であって、その日常生活を縛れという意味ではないということでもいいんですけれども、ただ、教室ではそういうふうに人口に膾炙しているという状況がございますので、是非その辺りのところにお力をいただけたら有り難いなというふうに思う次第です。
三浦信祐君
終わります。ありがとうございました。