三浦のぶひろ(信祐)

1975年3月5日生まれ。

宮城県仙台市出身。
横浜市在住。

学校法人三島学園ますみ幼稚園卒。
宮城県仙台市立向山小学校卒。
福島県福島市立第四中学校卒。
福島県立福島高等学校卒。
千葉工業大学工学部金属工学科卒。
東京工業大学にて博士(工学)を取得。
元防衛大学校准教授。

2016年7月10日執行参議院神奈川県選出議員選挙初当選(当選2回)。

公明党 選挙対策委員長、安全保障部会部会長、科学技術委員会委員長、障がい者福祉委員会委員長、外交安全保障調査会事務局長、経済安全保障対策本部事務局長、神奈川県本部代表。

参議院 外交防衛委員会理事、予算委員会委員、政府開発援助等及び沖縄・北方に関する特別委員会委員、国民生活・経済及び地方に関する調査会委員。

家族は妻と娘と愛犬チワプーのメイ。

身長・体重/180cm・80kg

血液型/A型

尊敬する人/野口英世

座右の銘/一期一会、われ以外みなわが師

趣味/旅行、鉄道、飛行機の撮影

好きな本/マッハの恐怖(柳田邦男)、沈まぬ太陽(山崎豊子)

好きな歌手/Mr.Children、ゆず、小田和正、Superfly

好きな映画/フォレストガンプ、インビクタス、アポロ13

好きなスポーツ/サッカー、野球、バレーボール

好きな食べ物/豚の生姜焼き、もも

 

幼少期・学生時代

1975

母の愛情を受け、家族思いの少年に

青葉城址がそびえる宮城県仙台市で元気に産声を上げた。物心ついた時から母、4歳下の弟の母子家庭で育つ。母は仕事をかけもちしながら兄弟二人を習い事もさせてくれ何不自由なく、明るく育ててくれた。

経済的には決して余裕のある暮らしではなく母は自分のおかずには手をつけず、味噌だけでご飯を食べていたことも。そんな母の姿を見ながら家族思いの少年へと育つ。

1981小学校時代

パイロットへの憧れと衝撃の日航ジャンボ機事故

母と飛行機で仙台から東京までを何度か往復した経験から、どこにでも飛んでいける飛行機が大好きで将来パイロットになりたいと思うように。小学校5年の夏、祖母のいる母の実家にいた日「御巣鷹山の日航ジャンボ機墜落事故」をTVで見る。衝撃を受け事故について掘り下げ、人の命の尊さや命を預かることの重大さについて考える。

自身の友人関係の悩みを通してエジソン、キュリー夫人などの伝記に触れ、なかでも福島県出身の野口英世の不自由ながらも負けずに成長し、世界で活躍した生き方に感動。母と弟を守りたいという責任感と自立心の強い子へと育つ。

1987中学校時代

仙台市から福島市の地へ

中学での部活では陸上部で走り高跳びの練習に日々励む。中学2年の時、母が兄弟の教育環境や祖母のことも考え祖母、母、弟と福島県福島市に移り住む。

福島の中学校に転校してからはバスケットボール部に入部。県内有数の進学校の福島高校を目指し、勉強にも打ち込んだ。

1990高校時代

三浦のぶひろの研究者肌が芽を出す

県立福島高校に合格し、入学。下駄を用意するという古風な伝統や応援歌講習会などバンカラな校風。「清らかであれ勉励せよ世のためたれ」という教えの中育つ。バレーボール部に入部。膝を痛めて退部したが、友人たちとゴルフ同好会を立ち上げ、部に昇格。東北大会の団体戦に入賞するなど結果を残す。好奇心旺盛で担任から「一つのことに熱狂的に取り組みすぎる性格」と指摘されるほどであった。高校3年の時、航空機について学べる大学を探し飛行機の材料を扱う金属工学の研究室のある千葉工業大学に推薦で合格。

1993大学時代

いよいよパイロットを目指す

千葉工業大学に入学。習志野市で初めての一人暮らし。教材費や生活費を稼ぐためアルバイトを常に3種類かけもちをする。学習塾の講師のバイトでは教え子の成績をアップさせることができ、教えることの楽しさを感じる。当時中学3年の弟が不登校になり、手紙や書籍、好きなアーティストのカセットテープなどを送り懸命に励ます。弟は無事学校に行けるようになる。アルバイトに時間をとられ勉強が進まずスランプに。授業も欠席がちになる。先輩が自分の時間も犠牲にしながら励ましてくれた姿に感動し、今この道を貫こうと決意する。大学4年時から、東京工業大学で金属工学分野の研究室で昼間から最終電車になるまで研究に徹する。金属工学の研究をしながらパイロットのなるため、大学2年から年一回の航空大学校の試験に挑戦したが、大学4年の9月でも不合格。かつてない人生の難局を迎える。

社会人時代

1997社会人スタート

青天の霹靂、苦難の研究者生活のスタート

東工大で出会った恩師の勧めで飛行機のジェットエンジンの安全性に関する研究者として、防衛大学校 精密機械工学科で助手として働き始める。博士号取得者ばかりの同僚の中でハンディを埋めるため、日々努力を重ねる。2年目でスランプに。再び先輩の励ましで努力を重ね、スキルを向上させる。この時の課題は後の博士号取得のための論文の核心部分に。
自ら学生の中へ入り、学生寮で語り合い、寝食を共にするなど交流を重ね、個人的な相談にものる関係性を築いた。助手としては10年務めた。

200227才

努力が実り大きな結果が

4年に一度開催されるベルギーでのリエージュ国際会議(先進発電機器材料の分野で世界的に著名な会議)にて最高位のベストポスター賞を日本人初受賞する。賞の受賞を機に周囲が博士号取得を応援してくれる動きが出るようになる。

200328才

血の滲むような努力の末、博士号取得

防衛大学校で教鞭を取りながら、ジェットエンジンの最も高温になる部分の金属材料の強度についてを専門に研究を続け、6年近い年月をかけて積み上げた膨大なデータをまとめあげて論文を仕上げ、東京工業大学大学院総合理化学研究科博士後期課程を修了し、博士号を取得。自宅には3か月ほとんど帰れず研究室に寝泊まりし睡眠も極限まで削り自身の限界に挑み論文を書き上げた。博士論文ではどのようなメカニズムで金属の変化が起こるのかというテーマについて取り上げ、日本では希少な研究であった。

200429才

結婚、一児のイクメンパパに

5歳年下の妻と結婚。妻は保育士として働き、出産の2か月後には職場復帰。車で通勤する途中で妻を勤め先に、娘を別の保育園に降ろし、帰りも二人を迎えに行き帰宅するという生活を3年間続けた。保育士の妻へのバックアップ、仕事をしながら子供との触れ合いを大切にしてくれた母の影響もあり子供を育てを経験する中で、男性が子育てに関わりずらい社会に対して男性も休暇を取得しやすい社会を作るべきだと感じる。

200631才

2度目の受賞

リエージュ国際会議にて2度目のベストポスター賞を受賞。英語で質疑応答を行った。

201136才

3.11東日本大震災

2011年、3.11東日本大震災。研究室で実験装置のメンテナンスを行っている時に被災。
生まれ育った仙台市や思い出の詰まった東松島市の津波被害、多くの尊い命が奪われた大震災に心が張り裂けそうになる。
そして、福島第一原子力発電所の事故。多くの方が故郷を離れなければならない甚大な被害を前に、政治家・研究者・技術者のタッグによって国民の命を守り社会の安全を切り開くことが必要だと感じ、後の政治家を志すきっかけとなる。確実な廃炉の実現、世界の廃炉技術をリードすることが日本の役割。技術と技術を結ぶ、研究者と研究者をつなぐ仕事をやり遂げなければいけないと強く決意。

201237才

最年少での准教授就任

奮闘の結果、37歳で防衛大学校最年少の准教授に就任。就任以降大学校での講義数が増え多忙を極める。学協会活動(日本鉄鋼協会、日本金属協会、日本材料学会、日本ガスタービン学会)に勤しみ、研究成果の発表に向けて実験を繰り返し、在職中30本を超える論文と報告を書き上げ全国各地での口頭発表は70件に及んだ。

国際会議の運営にも参画し企業や大学との共同研究も行い、研究者としての知見を深めていった。

政治家として

201540才

新たな、政治の世界へ

18年間務めた防衛大学校を退職。新たな政治家としての道を志す。自らの研究者としての経験である科学技術で日本社会を変えたいと思う一方、候補者として多くの企業などに足を運ぶ中、様々な分野の勉強を重ねて力をつけたいと感じる。公明党の議員の使命は地元議員と共に現場の声を聞き、政治の世界へ声なき声を届けることだと決意を新たにする。

201641才

参議院議員神奈川選挙区にて初当選!

公明党公認、自民党推薦で参議院議員神奈川選挙区で立候補し、629,582票を獲得し、初当選。防衛大学校の教官の経歴を持つ国会議員は初。多くのご支援をいただく中で、社会の多くの光の当たらないところへ光りを当て、そのために勉強を重ねていくことの重要性を実感する。

未来をつくる、新しい風。三浦のぶひろ・著

未来をつくる、新しい風。
三浦のぶひろ・著

日本の未来をつくる男「三浦のぶひろ」が語る、青春の夢と今後のビジョン!

金属工学の専門家として、28歳で博士号を取得。その後、防衛大学校の准教授に就任。人生の原点は、女手ひとつで育ててくれた母親とよき師・よき友へのあふれる感謝の心だった……

2016年1月15日(金)発売
○定価820円(税込)
潮出版社
ISBN978-4-267-02044-5